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めぐる想いはひとりひとり・・・

のんびりした週末ですなぁ。

29日はおまけの日だったが、結局、残業したりして目一杯使ってしまった。
週末はおやすみ。
今日も今日とて、ひがないちにち、リクライニングチェアで
TVのサスペンスものなど見ながら
うつらうつらするのであります。

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                       <イメージ映像・ロケ地熱海>

風邪の症状がほとんど出なくなってきた(わーい)。
かわりに花粉のせいか土ほこりのせいか
今朝から目がしょぼしょぼ。鼻がくすぐったい。

以前、何かで読んだが、「クールファイブ」(前川清)の曲には自然災害と妙に符合するタイトルがある。
「長崎は今日も雨だった」・・・だいぶ前だが、長崎県で大雨水害の被害があった。
「そして神戸」・・・阪神淡路大震災。。。
こじつけにすぎないので関係者の方には気を悪くしないでください。
でもなんとなく心に残っていた。そして
「東京砂漠」は何を指すのだろう?と思っていた。

最近の爆弾低気圧の影響による強風、つちぼこり、砂塵嵐。黄砂。花粉・・・
今日、近所の砂漠のような乾ききった畑を見て、このことなの?と思うのでありました。

さて本題。

下田を旅して、バスガイドさんに唐人お吉の物語を、バスに揺られながら聞いた。

ペリーの黒船がきてから、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)、日米和親条約が結ばれ、下田は開港された。そして1856年8月21日(安政3年7月21日)、タウンゼント・ハリスが秘書兼通訳のヘンリー・ヒュースケンと共に日米の貿易通商の道を開くため、下田にやってきた。

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下田奉行所とハリスの交渉がなかなか進まない折、奉行所の役人は侍妾としてハリスの側に仕えるようにと、当時下田一の美人芸者だったお吉に命じる。
「いやでござんす」とはねつけるお吉だったが、奉行所の支配組頭・伊佐新次郎が涙ながらに説得。また、幼馴染の恋人・鶴松には名字帯刀を許すから愛想尽かしをしてくれと画策。

こうして、支度金25両、年手当120両という大金をもらい、泣く泣くお吉はハリスの元へ。
ハリスに献身的に仕え、通商条約交渉も順調に進み、江戸に出府するハリスにもついて行き仕えた。

ハリスが帰国してからは芸者に戻ったり、洋髪の髪結いや、お店もはじめたりしたが、世間の人々から「らしゃめん(洋妾)よ」「唐人よ」とののしられ、ひっそり暮らし、果ては50歳のとき、下田のはずれ稲生沢川に身投げした、と伝えられる。

子どもの頃にも下田に来たことがあり、お吉の話も概略で知っていたが、今回ガイドさんのよどみないせつせつたる物語りに、バスは貸切の上、かぶりつきの席で哀しい物語に聴き入り、後半、涙がこぼれそうになった。ベテランのガイドさんの語りは見事だった。

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爪木崎をまわった後、バスは下田開国博物館、了仙寺(日米和親条約附則下田条約締結の地)、宝福寺(お吉の菩提寺)へ。

博物館ではハリスの使ったグラスや、町中から集めた牛乳代の請求書控え、領事館に仕えた農民出身の助蔵が写し取った英和辞書(約5000語)などの展示、アメリカ人から写真機材をもらい写真術を習得した下田蓮杖の展示などを見た。

帰りに売店で「ハリスとヒュースケン 唐人お吉-物語の虚実」という小冊子(博物館発行)を購入。宿に着いてから読み始めた。これを読むと、初代アメリカ総領事ハリスの功績、領事館の生活の様子などが見えてくる。この生活の記述は興味深い。住んだ玉泉寺の間取り、なにを食べたか。江戸へ赴く際には駕籠かきや従者たちに合衆国のバルトイーグルの紋を染め抜いた羽織を着せたことなど。。

またハリスが最初に通商条約を結び、その後の西欧列国と相次いで通商を開始するにあたり、日本の助力となったこと、攘夷論が高まり外国人襲撃事件が続き、ヒュースケンも暗殺されたとき、本国に日本の実情を知らせ武力攻撃を思いとどまらせるため奮闘したということも知った。

お吉の物語は物語として、史実はこうだったということも書かれている。これによると、
ハリスは侍妾を求めていたのではなく、慣れない土地で病気がちであり真の看護婦を探していたのを役人が誤解した。お吉は実際は、三日で帰された。江戸にもついていっていない。などなど。
ではお吉物語は正しくはどうなのか。しかしあまり追求するものではないだろう。
ハリスの元に仕えたのは事実、戻ってから世間に揶揄されたのもおそらく事実だったのだろう。

この話が人々の間で長く語りつがれていくうちに、哀しい女性の物語として美化されたり、小説やお芝居になるとき、悲劇性を強調するあまり、数々のエピソードがそれらしく付け加えられたりしたのかもしれない。いまとなっては当時の人がいないのだからわからない。
しかし、思えば、かの「忠臣蔵」も、語られ、小説となり、芝居になるうち、こまかいエピソードが作られ現在の話になっているわけで、すべてが史実ではないだろう。

お吉をはじめ数人の女性が領事館で仕えさせられたことは事実で、それらを総合すると「唐人お吉」の物語に近いのではと、博物館の冊子にある。当時はひどい仕打ちを受けたお吉さんのお墓は今ではこうして観光バスのコースにもなっており、参拝者も多いという。

ハリスが日本に来て2006年で150年たった。思えば、長い歴史の中ではほんの少し前の話でもある。

桜見頃の唐人坂で
巡る想いはひとりひとり
泣けば花散る一輪挿しの
艶(あで)な姿は春の宵

サザンオールスターズ「唐人物語(ラシャメンのうた)」より~アルバム「さくら」所収

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                           伊豆急リゾート21「黒船電車」                  
by polaris-s | 2008-03-02 14:37 | 旅日記